国登録有形文化財 旧大城家

琉球王国の役人が住んだ古民家

竣工年琉球王国時代後期(1800年代)
移築前所在地首里

歴史や背景

旧大城家は、琉球王朝時代の首里に建築され、1982年に琉球村へ移築されました。

建築された当時、身分の高い与那原家という一族の邸宅であり、琉球王国時代、現在の総理大臣のような役職である三司官を輩出するほどの家柄でした。
そのため、旧大城家の造りは琉球村にあるほかの一般民家とは異なり、装飾の豪華さや民家の大きさが印象的であり、当時の裕福な暮らしぶりが感じられます。

琉球王国が解体された後、大城氏が家屋を購入し、首里から糸満市兼城に移築されたことで、旧大城家は戦火を逃れ今に至ります。

注目ポイント

シーサー

シーサーとは、マジムン(魔物)や災いを追い払ってくれる沖縄の守り神であり、中国の獅子神が起源とされています。

旧大城家は2体のシーサーが対になっており、魔物を追っ払うため口を開けているのがオス、幸福を逃さないよう口を閉じているのがメスと言われています。

屋敷囲い

屋敷囲いとは、石や木を用いて家の周りを囲う塀のことです。
台風などの強い風や日差しから家を守ることに活用されています。

一般的な古民家には屋敷林としてフクギが植えられていますが、旧大城家では、ブーゲンビリアなど沖縄を代表する色鮮やかな様々な植物が植えられています。

旧大城家で体験できること

旧大城家では、琉球王国時代の役人である裕福な暮らしぶりを見ることができます。
当時の身分制度やシーサーの歴史を知り、より深く琉球を感じてみませんか。

身分制度と家屋

旧大城家が建築された当時、琉球王国は身分の階層によって建てられる家屋や敷地の広さに制限がありました。

例えば、首里の貴族や士族など身分の高い家柄のみ赤瓦などの瓦屋根を使用することが許されており、これによって身分の高さが一目でわかるようになっていました。
一方、庶民は瓦屋根を使うことができず、広い敷地を所有することも禁止されていました。

そのため、江戸時代に建築された家屋にも関わらず、赤瓦を使用した屋根や広い敷地が見ることができる旧大城家は、三司官の身分が高いことを表しています。

シーサーの普及

シーサーは、琉球王国時代から存在していましたが、当初は王族や上級士族の屋敷や神社仏閣などに限られていました。
なぜならば、シーサーが魔除けや家の守護神としての象徴であったため、特に身分の高い人々の間で重んじられていたからです。

明治時代以降、琉球王国が解体されると、敷地家屋の制限令が撤廃され、一般家庭にも赤瓦の使用が認められるようになりました。
そこで、屋根瓦職人が余った漆喰と瓦をつかってシーサーを造るようになり、このころから一般家庭にもシーサーが設置され、沖縄全域に広く普及していきました。