稲作発祥地「受水走水」の領主が住んだ家屋
竣工年 | 琉球王国 後期(1887年) |
移築前所在地 | 南城市玉城百名 |
歴史や背景
旧比嘉家は、南城市玉城百名 (現在の南城市玉城百名)に1877(明治10)年に建築され、1982(昭和57)年に琉球村へ移築されました。
1879(明治12)年に琉球王国が日本本土に併合され、沖縄県が設置されているため、1877(明治10)年に建築された旧比嘉家は琉球王国時代末期の建築であるといえます。
比嘉家は、玉城百名にある沖縄における稲作発祥の聖地「受水走水」の領主を兼ねた地主であり、琉球王国時代から500年も続く名家です。
注目ポイント
屋根に置かれたシーサー
旧比嘉家のシーサーは屋根に置かれており、屋根獅子とも呼ばれます。
家の屋根に置くことで、どこからともなくやってくるマジムン(魔物)や災いを追い払い、家庭の運気を向上させる風水的なバランスを保つ二つの役割があります。
雨端(アメハジ)
雨端とは、おもに家屋の南側と東側の縁先に柱を立て、軒を差し出したひさし、またその下の空間部分のことです。
沖縄特有の気候である激しい雨風や強い日差しを遮るための工夫とも言えます。
屋内と屋外の空間を繋ぎ、訪問客とゆんたく(おしゃべり)する場でもあります。
旧比嘉家で体験できること
旧比嘉家の所有者は、沖縄における稲作発祥の聖地「受水走水」の領主だっため、裕福な家柄の暮らしを体験することができます。
稲作発祥の聖地「受水走水」の現在における立ち位置と、琉球王国で信仰されていた「琉球神話」においてどのような立ち位置だったのか知ることで、より深く琉球を感じられるでしょう。
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)
比嘉家が所有していた「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」とは、現在の南城市玉城百名にあり、沖縄における稲作発祥の聖地と伝えられています。
穏やかな流れの受水の下流に、御穂田(みふーだ)という田んぼがあり、早い流れの走水の下流には、親田(うえだ)という田んぼがあります。
旧暦1月の最初にある丑の日には、地元の人々による田植えの儀式が行われ、南城市の無形民俗文化財にも指定されています。
琉球神話における受水拝水
受水走水が稲作発祥の聖地とされているのは、海の女神・アマミキヨが、海の彼方にある理想郷・ギライカナイから持ち込んだ稲の種を植えた琉球神話によるものです。
アマミキヨは、海に漂う島々に草や木を植えて琉球の国土を創ったとされています。
アマミキヨが初めて沖縄本島に足を踏み入れたとされているのが、「ヤハラヅカサ」という場所であり、現在でいうと旧比嘉家のあった南城市玉城百名にあたります。
そのため受水拝水は、稲作発祥の聖地として琉球国王自ら拝礼したとも伝えられています。