今も色褪せない富の象徴 島袋家
竣工年 | 明治時代(1897年) |
移築前所在地 | 名護市源河 |

歴史や背景
旧島袋家は、名護市羽地に1887年に建築され、琉球村へ1982年に移築されました。
島袋家は、羽地村源河一帯を仕切っていた百姓の一族であり、当時の税金であった米の徴収を行っていた家柄といわれています。
戦前、この民家には家族と給仕人を含め最大16人が生活を共にしていたそうです。
そのため琉球村にある民家のなかでも比較的敷地面積が広く、造りも豪華なことが特徴です。
注目ポイント
梁や柱
旧島袋家の梁や柱は、「イジュ」や「イヌマキ」などの成木の芯だけ用いられています。
特に「イヌマキ」は、耐朽性と耐水性に優れシロアリに強く、沖縄県内では建築材として重宝されています。
また、土間の梁は木の曲がりを上手く利用してデザインを施されているところが特徴です。

仏壇
旧島袋家では、沖縄の伝統的な仏壇が再現されています。
仏壇が家の中心(二番座)に位置しており、内部に3つの段を設けるのみというシンプルな構造です。
沖縄では祖先信仰が根付いており、仏壇は故人を弔うためだけではなく、その先の神となったご先祖様への拝みの意味も込められています。

琉球村で体験できること

囲炉裏
旧島袋家には、ほかの民家と違い囲炉裏があります。
明治時代に建てられた古民家で囲炉裏がある家は、一般的に裕福な家柄や地位の高い家柄でした。
囲炉裏は暖を取るだけではなく、調理や照明など、多目的に使われました。

4つのかまど
旧島袋家は、ほかの民家よりもかまどが多く、4つのかまどを有しています。
この家にはは、多くの家族や給仕人が共に暮らしていたため、一度に多くの食事を準備する必要がありました。
収穫時期には多くの人手が必要で、食事を提供するために、かまどの数が多いことが重要です。
