100 OKI SONG

『芋ぬ時代』 ~今に伝わる歌と踊り 琉球の原風景を訪ねる旅~

「芋ぬ時代」は、戦中戦後、貧しい時代にあっても、子どもたちにひもじい思いをさせまいと一生懸命働いた両親に対する感謝の歌。琉球村では、「芋ぬ時代」を島唄ライブで歌唱し、その想いを未来に伝承しています。ぜひ、琉球村でご体感ください。

photo: 関 康隆 Yasutaka Seki
Photography
facebook page https://www.facebook.com/y.seki.photo
Website http://yasutakaseki.com

『芋ぬ時代』 ~今に伝わる歌と踊り 琉球の原風景を訪ねる旅~

「芋ぬ時代」は、作詞 浦崎芳子、作曲普久原恒男により1987年に発表された沖縄新民謡のヒット曲。作詞の浦崎芳子は1924年伊江島生まれで、辛い戦争の時代を体験した。父母は、雨の日も風の日も、真夏の太陽が照りつける暑い日も、クバ傘をかぶり、はだしで働きづめの日々であったという。戦中戦後、わずかな芋を食べ命をつなぐという、大変に苦しい時代を生きてきた。戦後沖縄の人々は、苦境から立ち上がり、この島を再興すべく必死に生抜いてきたのだ。
今日の沖縄の豊かさは、親祖先や大自然の営みによってもたらされたもの。「芋ぬ時代」は、親、先人への感謝の思いや恒久平和の願いを未来に繋ぐ、教訓歌なのです。
歌詞の大意は以下。
お母さんが朝早く起きて、芋を煮て子ども達に食べさせる。出来立ての美味しい芋を、子ども達はフーフーとほおばり、喉の詰まらせるほど慌てて食べる。食卓には笑がこぼれる。芋は、父母が暑い日も寒い日も休まず働いてもたらしてくれたもの。時が経った今でも思い出す芋の味。「お腹を一杯にして元気をつければ頑張れる」と親が言って聞かせて食べさせてくれた、あの芋の味を。
命を繋いでくれた親の情け、恩義は絶対に忘れてはいけない。それを受け継いで子々孫々に伝えなければ。
平和で豊かな時代の今だからこそ、「芋ぬ時代」の歌詞の意味や歌に込められた祈りをしっかりと理解し、歌い踊り、未来に伝承していきたい。

  • ① 昔の沖縄家屋にあったカマドゥ(台所)。毋は早起きして芋を煮る
  • ② シンメーナービ(鍋)とは四枚の鉄板で制作した鍋と言う意味。円錐状で丸底の大型鍋
  • ③ ンム(芋) と言えば一般にサツマイモ。ほかにタームン(田芋)、チンヌク(里芋)などがある
  • ④ 琉球村のエンターテナー、仲泊正夫。遊び歌から情歌までレパートリーもバラエティー豊富。2018年2月15日~2018年5月14日の期間中、11時の島唄LIVEの際、「芋ぬ時代」を披露します。仲泊正夫が出勤日のみの「芋ぬ時代」の披露となります。予めご了承ください
石くびり
琉球村
  • 住所沖縄県恩納村字山田1130
  • 電話098-965-1234
  • 業営8:30~17:30(受付17:00)
  • 期夏9:00~18:00(受付17:30)
琉球ナビィロード
『琉球ナビィロード』
RELEASE:2017年4月10日
PRICE: 2,160円(tax in)

琉球村入園情報
住所:沖縄県恩納村字山田1130
料金:大人16才以上1,200円
小人6才~15才600円、6歳未満無料
詳細:www.ryukyumura.co.jp

「芋ぬ時代」

作詞:浦崎芳子 作曲:普久原 恒男
※歌は5番まで 1番、4番歌詞抜粋掲載

1)夜明き白々 暁(あかとぅんち)鶏ぬ唄いる声聞きば 我ったーアンマー ちがきみそーち シンメー鍋に 芋煮みそーち 子ぬ達朝ぬ 目クファヤー
【訳】夜が明けて白々明るみはじめる暁。鶏の鳴く声が聞こえたら、私たちの母はがんばって朝食の支度に起きて、シンメー鍋で芋を煮てくださっている。子供たちのお目覚めだ

4)クバ傘かんとてぃ 夏ぬ日ん 冬ぬ寒さる 雨ぬ日ん 物ーちゅふぁーら 腹 一 杯食でぃ くんち付きやい うみはまりんでぃち 親ぬかまちゃる 芋ぬ味
【訳】クバ笠をかぶった夏の日も、冬の寒い雨の日も、「食べ物をたくさんお腹一杯食べて、元気(根性)をつけて仕事に励めよ」と言って聴かせて、親が食べさせてくれる芋の味

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