琉球村は、多幸山の麓にあります。多幸山には、フェーレー(おいはぎ)が出現するという、琉球王朝時代の宿道の難所のひとつとして伝えられてきました。琉球村に広がる多幸山の風景とオリジナルの寸劇で、「むかし沖縄」を体感してください。
photo: ジャン松元
JOHN MATSUMOTO WEB SITE 「CHAOS~OkinawaAmericaAsiA~」
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1429年、尚巴志によって三山が統一され、琉球王国が誕生。琉球王朝時代(1429年~1879年)尚巴志は首里城を居城とし、首里に王府を置く。王府は、エリア毎に間切(現在の市町村にあたる)し、各間切には 番所(役所)を配置すると同時に、首里城を起点に各番所へ向かって街道を整備した。この街道は 宿道と呼ばれ、政治的にも庶民の陸上交通においても主要な道となった。主なルートは6つ。北部地域の「国頭方」、中部地域の「中頭方」、それぞれ東海岸沿いにのびる宿道を「東宿」、西海岸沿いにのびる宿道を「西宿」とし、南部地域の「島尻方」は、東回りを「南風原之宿」、西回りを「真和志之宿」 とした。この宿道のうち読谷山間切の喜名番所(現在の読谷村喜名)から国頭や本部に向かう西海岸の道を「国頭方西海道」という。中頭と国頭の境に位置する多幸山から先は、民家のない樹木が繁る険しい山道。その旧街道に大岩が両側にそびえ立つ「石くびり」があり、通る人から金品を奪うフェーレー(追いはぎ)が出没した。フェーレーは岩陰に隠れ人々を襲ったとされたことから、この岩を「フェーレー岩」と呼ぶようになった。この多幸山のフェーレー岩近辺は、山原街道の一大難所として旅人の最も恐れる場所だった。このことは、沖縄民謡や沖縄芝居となり、さまざまな逸話も生まれ現在に伝わっている。国頭方西海道の恩納村真栄田、山田、仲泊の道は、「歴史の道」として散策コースにもなっている。琉球村を訪れた際、琉球王朝時代に想いを馳せ、歴史の道を散策してみてはいかがだろうか。
琉球村で琉球のうたと踊りを体感! 琉球村と沖縄音楽旅行のタイアップ企画! 多幸山にちなんだオリジナルの寸劇を制作! 山の向こうの男性に恋いこがれる美しき女性。いても立ってもいられず、多幸山を越えて会いに行く。しかし、宿道には、フェーレーが……。波瀾万丈のラブストーリー! 期間中の第二、第四土曜日に披露します。100年先に伝えたい沖縄の歌と風景を琉球村でご体感ください。