photo: 関 康隆 Yasutaka Seki
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「恩納節」の歌詞となる琉歌を詠んだ恩納ナビィは、1700年代に活躍した伝説的な女流歌人である。恩納村の農村で生まれ、封建的な世の中で多くの琉歌を詠んだ。尚敬王(第13代国王:在位1713年-1751年)時代、三司官の蔡温が男女の風紀の乱れを心配し、シヌグ踊り(毛遊び)を禁止し、恩納の松下に禁止の札を建てた。そこでナビィは、社会を軽妙に皮肉るとともに、恋仲だった松金との恋を大らかに歌った。これが、「恩納節」である。この「恩納節」は、「かぎやで風」、「中城はんた前節」、「長伊平屋節」、「特牛節」とならび琉球古典音楽「御前五風節」として今に伝わっている。ナビィの代表的な琉歌、三首(恩納節を含む)を紹介解説する(左記参照)。どの歌も美しい琉球の言葉を用い、恋愛や世に対する考えや想いをのびのびと情熱的に表現している。また、そうした歌と同時に、首里天がなし(尚敬王)の御幸の様子を敬愛の情を込め詠んだ琉歌も生み出している。だからこそ、「恩納節」が王朝より「御前五風節」として取り上げられ、300年の時を越え今に伝えられているのではないだろうか。30文字(琉歌は8、8、8、6で詠まれる)の歌から、奥行きのある物語が浮かぶ「恩納節」。琉球村を訪れた際、近隣の歌碑まで足を伸ばし、ナビィの愛の舞台、恩納村を音楽旅行してください。
1)恩納松下に禁止ぬ碑ぬたちゅし恋しのぶまでの禁止やねさめ
【訳】恩納間切の松の木の下に、禁止令の札がたっている。まさか、恋をすることまで禁止はしませんよね。
【解説】王府に対し軽妙に皮肉を盛り込み大らかに恋を詠んだ琉歌。
2)恩納岳あがた里が生まり島森んうしぬきてぃくがたなさな
【訳】恩納岳のずっと向こうに彼が居る。生まれ島の金武を森を押しのけてでも、こちらに引き寄せたい。
【解説】一途な想いを詠んだ歌。山路を歩いて会いに行くには危険を伴い困難な時代。大胆な言葉使いが印象的な琉歌。
3)波の声も止まれ風の声もとまれ首里天がなし美御機拝ま
【訳】波の音も止まれ風の音も止まれ。国王さまのお顔を拝見したい。
【解説】1721年に首里王府の尚敬王が、国頭巡視の折り、恩納村の万座毛(マンザモウ)で休息された。その時、ナビィがウスデークに唱和して歌を詠んだと伝わっている琉歌。